Disneyとインクルージョンと私

1998年、アメリカに住んでた5歳の私は映画「ムーラン」を見て以来夢中になった。

女友達とのプリンセスごっこと男友達との鬼ごっこが同じくらい好きな私にとってはプリンセスの顔も男と共に戦う戦士の顔も持つムーランはまさに理想だった。

それにプリンセスごっこで金髪白人の友達のシンデレラにはどうしても敵わない私にとって、ムーランはついに「私にぴったりの役」だった。

それから23年後の2021年、MARVELのシャンチーを見ながら同じ感動を覚えた。

 

MCUは長期的に計画されてるから、BLMとかSAHとかを経て、ファルコンアンドウィンターソルジャーとか、シャンチーを出すことになる、ということまでは当初わかってなかったと思う。

にも関わらず、ファルコンアンドウィンターソルジャーで「America」の名を冠したキャプテンアメリカを黒人が継ぐことの重みをテーマにしたり、シャンチーをありがちなエキゾチックアジアンカンフー映画に留めず、在米中国人を細かく描写したところは、さすが、と思った。

 

そんなDisneyもこうなるにはだいぶ時間がかかった。

確かに98年のムーランは当時にしては珍しく、アジアを舞台にアジア人を描いていたけど、今思えば、テレビで散々MVが流れてた主題歌はクリスティーアギレラだった。当時アメリカで女の子が憧れるアイドルといえばブリトニースピアーズかクリスティーアギレラ、ちょっとおませさんはスパイスガールズ、という感じだったから違和感はなかったが、アイドルは大体白人、たまに黒人、と言う雰囲気自体、今思えば時代の刷り込みだった。

それと比べるとシャンチーのサントラのこだわりはすごい。中には「韓国人と日本人が混ざってる!」って怒ってる人もいるらしいけど、東アジア系でまとめる姿勢は徹底してるし、そもそも、シャンチーはたまたま中国人だけど、多分映画自体は東アジアを離れ、二つの文化に跨がって生きている東アジア系移民全般に向けたものだと私は感じた。

 

インクルージョン、という観点でもう1個気になるテーマはジェンダーだ。

ムーランは20世紀に戦うプリンセスを描いた貴重な作品だったけど、一方で21世紀のヒーローシリーズの割にはMCUジェンダー描写の評判は悪い。ペッパー、ジェーン、ペギー、強い意志をもった女性はたくさん出てくるけど、最終的にはマッチョな男性ヒーローをサポートし、助けられてキスして終わり、みたいなところは否めない。キャプテンマーベルは戦う女性達をテーマにしているけど、「存在感が足りない」と訴える人の気持ちはわかる。

 

その点、サブテーマではあるものの、シャンチーは意識的にそのテーマが描かれていた。「女の子だから」シャンチーや他の男性メンバーのようにトレーニングさせてもらえなかったシャーリンがそれを根に持っていることを直接描写している。

ここが先のエスニシティジェンダーの問題がクロスオーバーしている面白いポイントだと思う。

最近の小学生はわからないが、今シャンチーを見てる20〜30代世代が育った環境では、アメリカと比較すると東アジア文化圏の方がジェンダーロールに対する息苦しさがきつかったはずだ。

アメリカにいた頃はその日の気分によってヒラヒラのワンピースを着たり、つなぎを着て男の子と鬼ごっこしたり、を行ったり来たり伸び伸びしてた私にとって、ランドセルの色、道具袋の柄、ピアニカの色、何でもかんでも男女で別れている日本は異次元だった。友達のお母さんに「女の子なんだからそんな荒々しい遊びはしないの」と言われて頭がハテナでいっぱいになった。いつもピンクの服しか着ない女の子が木登りして落ちて腕を折ったりしてたような、男とか女とか関係なく、好きな格好をして、好きなことをする雰囲気よりはずっと閉鎖的だった。

シャンチーはそういう親世代のアジア人の感覚の違いに悩まされた人に向けて、意図的にメッセージを入れたのかな、と思う。

 

厳密にはDisneyとMARVEL、ブランドは違うけど、Disneyとして、こういう共感とインクルージョンを求めてきた人々の声をわかりやすくかつ丁寧に反映していこう、と言う姿勢はやはりこの23年で大きくアップデートされた。

まだまだ包括しきれていない人、共感出来てない人もたくさん残っているけど、メインストリームポップカルチャーでこれだけ変わった、ということは時代は確実に変わったと思う。

 

その点、「メンディーは見た目のせいで学園もののオファーがなかった」という話がゴールデンのバラエティーで笑い話になってしまい、ドラマの女子高生の制服はみんなミニスカの日本はまだひと時代、遅れているみたいだ。